当たり前とは

当たり前とは

僕が生きてきた人生て、いわゆるレールに乗った人生だと思います。

公立の小学校、中学校、高校に通い、私立の都内大学にストレートで進んだというレールに乗った学歴。

特別はげしいいじめに遭ったこともない。

小学校、中学、高校と野球をやっていて、高校では丸刈りの野球少年、全国大会未経験、というごくごくありがちなスポーツライフ。

5人家族で、両親は二人とも健在で、誰一人欠けることなく僕が生まれてから20数年たったという、恵まれた家族環境。

大学では奨学金を借りることなく、幸いにも無借金で大学に通い無事に卒業。

大学卒業後は都内の大手企業に入社してサラリーマンライフ。

こういう人生が、僕が今まで歩んだ人生の当たり前です。

でも、世の中ってみんながみんなこういうわけではないですよね。

大学に進学する人って高校卒業後50%もいかないですよね。

大学で奨学金を借りないで済む人もおそらく50%程度です。

いわゆる大手企業て、99%が中小零細企業が占める日本社会では珍しいです。

家族全員欠けることなく過ごしていることも、イジメに遭うこともなかったのも、色々掛け合わせると唯一無二の希少な人生なんですよね。

希少がゆえに、この人生を歩んだがゆえに僕の中で培われた当たり前があります。

それってつまり、僕の中に当たり前があるような、これまで属してきたコミュニティ、接してきた人々の中にも当たり前があって、それらが同一な可能性てかぎりなく低いですよね。

同一でないといっても、なんとなく、似た当たり前を持っていると当たり前のように思っているのではないかと疑問をもっています。

大学行くことが当たり前。

結婚することが当たり前。

離婚しないことが良いことである。

部活に入るのが当たり前。

留学に行くのが当たり前。

異性と性行為するのが当たり前。

就活して大きな企業を目指すのが当たり前。

でも、その当たり前も実は当たり前に異なっているという当たり前があります。

僕は大学という、ただただ、当たり前に兄が通い、当たり前のように高校の同級生が目指す線路に、当たり前のように乗り込み当たり前かのようにただただなんとなく入学しました。

しかし、そこで僕の当たり前は他の大多数の当たり前とは異なる当たり前もあるのだと気づきました。

もしくは自分が思っていた当たり前が他の人の当たり前ではないということに気づきました。

僕はその違いをもっと交わるようになる社会であってほしいと思っています。

僕は甲子園を目指して高校野球をやっていました。

でも、甲子園を目指して高校野球をやっていた人で、大学に入って、その後タイに留学行く人ているでしょうか。

同じように甲子園を目指していた高校球児をやっていた人で卒業後に美容師になる人がどれくらいいるでしょうか。

人は当たり前の中で生きているから、当たり前から抜け出すことができません。

当たり前は定期的にぶち壊さなければいけません。

そうしないと、当たり前を保つために他の当たり前を壊しはじめる人がいるからです。

そうなる前に自ら当たり前を壊す必要があります。

このブログを通して、少しでも、僕の当たり前を知っていただきたいです。

ぼくの当たり前があなたの当たり前と被るのか、相容れないのか、あなたの当たり前を壊すのか。それは僕にはわかりません。

すくなくとも、僕がリアルで接してきている人たちの当たり前と完全一致することはないです。

またそれが当たり前だと思っています。

リアルの友達の当たり前に驚かされることも多々あります。

入院中でセンチメンタルになっているので、こんなクソ寒いキモイ内容を書きました。

また、ぼくがこうして当たり前て当たり前じゃないよね、て思うことも、多くの方が同じことを感じているという当たり前が存在すると思っています。

早く退院して、お仕事したいです。

ではでは、平和。