セックスが大衆娯楽化し友達同士でも気軽にする未来構想

昔はお友達同士で楽しく何も考えずに遊んでた。
ゲームして、ケイドロして、。
いつしかそういう遊びはしなくなった。
友達同士のあそびは飲みに行ったりご飯たべたりカフェしたり。
ダーツしたり、ビリヤードしたり、。
子供の頃してた遊びは変化する。
さらに友達同士というコミュニティにプラスして恋人という新たな関係性が生まれる。そうしたパートナー同士の関係性で起こる遊びがある。それがセックス。
これはただ子孫を残すための行為ではなく、
最高に気持ちがいい。
快感、快楽、言葉にならない気持ち良さがそこには存在している。
基本的には、セックスは交際関係にあるパートナー同士でするものであるという考えがあります。
でもそこに疑問をもつことがあります。
こんなに気持ちよくて、高揚感を得られる行為を特定の誰かとしかしてはしけないと限定してしまうのておかしくないですか、と。
もはや友達同士で普通に起こってもいいのではないかと思い始めたりします。
この命題はつまり、なぜ友達同士の遊びにセックスが選択肢にならないなのかという問いにもなります。
ということで、グダグダとセックスが友達同士でやるくらいカジュアルなものにいつかなるかな~っていうクッソしょーもないことを考えていました。
*ちなみにこれからの話は前提を日本にベースを合わせて話をしています。
こんな未来構想をしてみました。
- 男性女性ともに生殖機能をある一定の年齢で取り除かれ、子作りなどの生殖に関わるものはすべて科学によってコントロールするようになる。(冷凍保存、人工授精や培養などなど)
- sexは娯楽として友達同士でも気軽に行う行為になっている。
- さらにはsexにまつわる遊びが世界大会などで行われるようになる。(射精発射距離選手権的な)
完全にSFです。
1に関して、しかるべき手続きを踏むことで子供をもうけることができるようになるように相応のルールを新たに作る必要がもちろんあります。
この1の発想自体はSFの見過ぎなのか、いつか実現するだろうと勝手に思っています。科学の発達で、精子の冷凍保存、人工授精、人工ベイビー製造機、クローンとか、などなど。
それで都合のいいことにセックスする機能は残しておくという設定。
そうなると、より自由にセックスができるようになるかなあ、なんて。
結構アホっぽい文章ですが、そもそもセックスが大衆娯楽化するだろうなあという考えに至った経緯を書いてみようと思います。
考えに至ったきっかけ
シンプルに恋人同士じゃないのにセックスするという行為が横行してるよね、て思ったのが純粋な気持ちです。
そんなに恋人同士じゃなく、普通にセックスしてるなら、友達同士で気軽にセックスする考え方もあっていいんじゃないかな、ていう。
恋人同士じゃないのにセックスする行為ていうのは、いわゆる、セフレやナンパしてそのまま直お持ち帰りとか。
ゲイアプリは特に顕著で、「やりもく」とプロフィールに明記している人もかなり多いし、僕自身、ゲイアプリ使う時はやりもくでしか使わないので、無駄なコミュニケーションコストがかからずに、エッチできて楽ちんだなーて思ってました。
ツイッターを少し漁れば、裏垢と称して、オフパコを目的としたアカウントが散見されます。
そういう裏垢ではエッチな画像や、本番中のえぐい喘ぎ声などが一般の人からツイートされており、その辺のAVよりも興奮します。
これだけパートナー以外とのセックスが横行している中で、友達で遊び感覚でセックスが流行ってもおかしくないなと考えてしまう僕が頭おかしいのでしょうか。
そもそも、セックスは恋人同士でするもので、友達同士やその他の人と気軽にするようなものではないという考え方はどこからきたのか少し気になりました。
すごい勝手な推測で話していますが、理由としては二つあると思っています。
- 生命にかかわる
- セックスをすること自体がどこか恥ずかしく秘密にしないといけないという風潮がある
1つ目の生命にかかわるから、はシンプルに赤ちゃんができることです。
それこそ、恋人同士で子供おを欲する気持ちがあるがゆえにセックスを行い子供を授かるというのが生まれてくる子供のためにも美しい在り方だと思います。
しかし、それが意図せずに授かった場合は状況が異なります。
しかるべき責任を負い、その状況に適した行動をとらなければいけません。
友達同士ではなく、見ず知らずや、重要度の低いコミュニティ内の関係性で起こった際の方が、言い方は悪いですが、その後の周囲との関係性に与える影響力は低いと思っています。
そして2つめのセックスが恥ずかしいものという考えについては、かなり雑ですが、キリスト的価値観が根強いのかなと思っています。
純潔を守ること、それが美しいこととして、婚前性交渉が禁じられていたりする考えがいまだに少なからず日本では影響しているのかなーていう、雑な根拠の薄い考え。
セフレという存在はそういう影響を受けた貞操観念から、セックスをすることをオープンにするべきでないという考えの表れなのかなという。
それに抗うからこそ秘密のセフレという関係が出来上がるんじゃないかなあと。
しかも、キリスト教的考えの浸透が薄かった江戸時代には、日本人はめちゃくちゃセックスしてたっていう記録が残っているようですし。
元来、日本においては、みんなセックス大好きだったものだったのだと勝手に思っています。
ゲイアプリから考える上記2つの価値観の変化
ゲイアプリで横行するやりもくプロフィールは見事に上の二つをクリアしていると思っています。
ゲイアプリをやっていると平気でやり目が横行しています。
友達同士ではなくアプリ上でセックス相手を探すのは、シンプルに同じ性的志向の友達が少ないからなんじゃないかと思っています。
男同士では子供ができない。クローズドなコミュニティでセックス許容(やり目がいるという考え)が一定数に当たり前として浸透しています。
そのため、ゲイアプリではやりもくがめちゃくちゃ許容されているのではないかなと。
つまりゲイの世界には先述した2つの考えが当てはまりません。そのためセックスがより自由になっているのではないかと思いました。
なので、上記2つの考えが変われば、男女でも、気軽にセックスがしたいと言えて、友達同士とかでセックスをするような流れがいつか来るのではないのかなと漠然と考えているという次第です。
この構想が実現した社会を想像してみる
望まぬ妊娠がなくなる
人口コントロールが起こる
セックスを題材にしたスポーツ、大会が生まれる
セックスが大衆娯楽化することで、射精大会や長時間記録などの記録として刻まられる
恋人との関係性が変わる
→子育てをともにするための人生のパートナーとなるのか
セックスとは恋人関係がまったく別物になるのか
飲んだ後に、「この後ダーツ行こうぜ」みたいなノリで「久しぶりにみんなでセックスしようぜ」みたいなことが当たり前になる。
セックスの効用が下がる?
当たり前のものになることで、セックスで得られる快感それ自体がおかしくなる
金持ちによる遺伝子操作の横行
構想実現の過程
倫理観の問題
→生命を人口的に操作すること
恋人及び結婚に関する考え方の変化
科学の進歩
実はこの構想実現の前に起こりうる事象として、セックスロボットの出現があります。
実際にセックスロボットはすでに販売されているものもあり、今回の未来構想が実現するずっと前に先にロボットがセックスを代替する世界になり、また新たな展開を迎えるという状況になると思います。
ちょっとところどころはしょったり、メモみたいなところが残ってしまって、申し訳ないですが、もう疲れたのでこの辺でテキトーに終わらせます。
ではでは、平和。
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